随筆「海の言葉」㉘”FETCH”
“FETCH”
日常の英語では、船が港に「入港する」ことを“PUT IN PORT”とか“GET IN PORT”と言います。“MAKE PORT”という言い方もありますが、これは若干古風です。船屋の言葉としては、一番普通なのは“ARRIVE”ですが、どちらかと言えば商業的な表現です。“REACH”や“CALL”は船の側から陸を見た言葉です。“REACH”は航海が一段落といった感じ、“CALL”は「途中寄港」ということでしょうか。この他にも、“ENTER”とか、“BERTH”、“MOOR”、“DOCK” “ANCHOR”などが使われますが、何れも入港時の船の状態や具体的な停泊場所を強調する感じが強くなります。
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ヨットの航海記で、“FETCH A PORT”という表現を見受けました。昔流の船乗りや、ヨット乗りたちは、“ARRIVE”や“REACH”よりも“FETHC”を好んで使うのだとのことです。あまり耳慣れぬ言葉なので、調べてみましたところ、なる程と思わせるものがあります。
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“FETHC”とは、そもそも「行って取ってくる」ことです。怪我や病気で「医者を呼んでくれ」と頼むのは、“PLEASE FETCH ME A DOCTOR”。犬に「取ってこい」の命令は、“GO! FETCH”。少し変わると、独特の表現が生まれます。“FETCH A DEEP SIGH”「大きな溜息をする」。“FETCH A COMPASS”「回り道をする」。“FETCH A PUMP”は、ポンプを取ってくるのではありません。「呼び水」を注ぎ込むことです。“FETCH UP”は、食べたものを「吐く」こと、或いは忘れていたことを「思い出す」ことです。
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一般の辞書によれば、海事用語としての“FETCH”は、「針路をとる」「航海する」とあります。しかし、専門の本によると、このニュアンスとしては、順風満帆のような安楽な航海ではなく、逆風や逆潮のような気象海象の悪条件にさからって進むことであるようです。従って、“FETCH A PORT”は「港に着く」ではありますが、単に「着く」のではなく、様々な海上の苦境を乗り越えて、目的の港を「かちとる」ような気分が強いように思われます。
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同じ海事用語として、“FETCH HEADWAY”があります。これは船が航進を開始し、「行き脚」がつくことを言います。“FETCH AWAY”は、物が揺れておどり出すことですが、これも船の上で、固縛が不十分な状態を指す言葉でしょう。名詞の“FETCH”は「距離」を意味します。“FETCH OF A BAY”は、湾の「広がり」「全長」のことです。“A LONG FETCH PRODUCES A LONG SEA”と言います。この場合の“FETCH”は波が寄せてくる方向、即ち風上側の海の広がりの「距離」のことで、「対岸距離」などと訳します。“LONG SEA”は、“LONG WAVE”すなわち波高が高く、間隔が長い波のことで、「大海は大波をつくる」こととなります。