随筆「海の言葉」㉚“OVERHAUL”
“OVERHAUL”
機械を分解し、掃除し、故障個所を修理することを「オーバーホール」と言いますが、その語源が海事用語にあるとご存知の方は多くはないでしょう。
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綱などを「引っ張る」ことを、日常英語では“PULL”と言います。しかし、どういうわけか船乗り仲間ではこの“PULL”という言葉は特殊な場合にしか使われません。たとえば、ボートを「漕ぐ」ことは、日常英語では“ROW”なのですが、船乗りは決して“ROW”とは言わず、必ず“PULL”と言います。技用ボートと違って、あまりテクニックを用いずに力任せに「引っ張る」からかもしれません。“PULL OUT”と言えば、船をドッグから引っ張り出す場合とか、ボートを水から引き上げることです。
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錨鎖や錨索を「引っ張り上げる」場合には、“HEAVE”を使います。“HEAVE”は本来は「重いものを持ち上げる」ことなのですが、船乗りは「引き上げる」場合だけでなく、正反対の「投げ出す」意味も使います。測深鉛を投じるのは“HEAVE THE LEAD”ですし、もやい綱を渡す時の「投げ綱」は“HEAVING LINE”です。“HEAVE DOWN”は修繕のために船を「傾ける」ことであり、“HEAVE TO“は海上で一時停止することです。
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船に多種多様の「綱」がありますが、これを「引っ張る」ことは“HAUL”と言います。“HAUL IN”は、文字通り「引っ張りこむ」こと。“HAUL OUT“は「総員綱ひけ」の号令。“HAUL AFT A SHEET“は「帆綱」(“SHEET”)を引くこと、即ち帆を詰めることです。帆を詰めれば、船はより風上に向けて帆走できますので“HAUL TO THE WIND“は、「風上に詰める」ことですし、“CLOSE-HAULED”は「風上一杯に切り上がる」状態を指します。“HAUL IN HER SAILS”と言う表現があります。これは「競争から退く」ことで、レースを諦めて船の方向を変えることでしょうか。
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ところで本題の“OVER HAUL”ですが、これは生粋の海事用語で、本来は三つの異なった意味を有していました。第一は、“TACKLE”(向かい合った複数の滑車の組み合わせ)のロープを緩め、全体の「索」をゆるめることです。第二は、“OVERTAKE”と同義語で、海上で他船に追い付くこと。「帆綱を詰める」ことから出た言葉でしょう。三番目は、ロッカーや金庫などをよく調べて整頓することです。中の物を「引っ張り出す」ことからこの表現が出たのでしょう。
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「分解・修理」の“OVERHAUL”は三番目の「整理・整頓」から出た言葉だと想像されます。因みに、海事専門の権威書によれば、陸上の機械ならいざ知らず、船に関する限りは、「分解・修理」の正当的表現は“OVERHAUL”ではなく、あくまでも“REFIT”であるべきとのことです。