安全ルール部会より
安全ルール部会 部会長 押小路様より、安全ルールについての基本方針のプロローグを頂きましたので、掲載いたします。
〔安全・ルール部会〕より 部会長 押小路 実弘
(次回から、安全に対するエピソードやルールに関する情報を掲載する予定です。)
プロローグ
私が初めてヨットに乗ったのは、18 歳の夏でした。江の島ヨットクラブ創立時より、母が会員となり、後にレディース委員をしておりました。
父の友人がヨットをやっていました。彼は、学生時代にツーマンディンギーに乗っていた時遭難し、彼だけが生還しました。父は、ボディーサーファーだったので自然相手のスポーツの危険性と素晴らしさは、承知していました。しかし、父は、友人の苦悩も知っていたので子供にヨットを進めませんでした。
そんなわけで、私はJrには参加しませんでした。
私を指導してくださったのは、EYC の、※2「やまゆり」の船長をなさっていた
※1 宇都宮道春船長で、元海軍におられ大変経験を積んだ方でした。時化の海をものともせず、精悍で、がっしり・どっしりした方でした。
教えて頂いたことは、「出航したら誰も助けてくれないから、すべて自分で考え、判断し、無事に帰港すること。その為には、考えられるトラブルを防ぐための準備をしておくこと。」でした。
無事に帰ってくるのは当たり前のことですが、当たり前を日常にするためには、よく考えて行動しなければ、時として、最悪の事態になります。
大切なことは、まず、道具(艇)を手入れする力、次に道具を使いこなす力、そして状況を的確にとらえ判断する力、さらに、船長なら、クルーから、自分の命を預けるに足る信頼を得られていること、です。
海のグローバルスタンダードは、船長が、安全を守るためのすべての権限を持っていることです。(指揮命令権、懲戒権、強制権、司法警察権、etc)当然すべての責任もあります。従って、船上で、最終決定をするのは船長以外にはおりません。多数決や合議制などでは、速やかに危機から脱出できません。クルーが、船長を信頼し、指示通りに素早く対応してくれるから助かるのです。
出航する際には、クルーザー、ディンギーでも必ず「船長は誰なのか」を確定しなければなりません。要するに、仮に誰かから訴訟された時に被告席に座るのは、誰か?
責任者は誰なのか?ということです。だから船長に権限があるのです。
なんで、「セーリングが、キングオブスポーツ」と呼ばれているのか、すでにご存知のことと思いますが、お付き合いください。
かつて、人々は、水平線の向こうはどうなっているのか? 滝のように流れ落ちているのかetc・・・色々と思いめぐらし、7つの海に乗り出したのです。これらの航海は、救助の望が無いことを承知で、探検という名の冒険に(新天地の確保などもありますが)出航したのです。チャートも無く、コンパス一つで出航したのです。航海中には、幾多のトラブルや沈没の危機が起こり、自分たちで対処していかなければ、生きて帰る望みは絶たれてしまいます。無事に帰港するためには、どのようなトラブルが起きるかを考え、それを起こさないための注意や準備、修理もできなければなりません。科学が進歩した今でも、原則は変わりません。
重要なことは、【すべての事を自分自身で対処しなければならない】ことです。そのため、「キングオブスポーツ(人間形成に最も適したスポーツ)」と呼ばれているのです。
舫いを解いたその瞬間から、海では何が起こるかわかりません。気を引き締め、どんなに注意しても避けがたい事故や、人間が行っている事なので、ミスがあるかもしれません。しかし、常に安全に対する気構えを持ち続ける努力を続けましょう。
小型ディンギーから大型タンカーまで、たくさんの船がありますが、船長は 1 人です。ジュニアセーラーの皆さんも、あなたが船長です。きっと素敵な船長になってくれると信じています。
ベテランの方、オールドソルトの方々、テクノロジーの進歩により航海は、しやすくなりましたが、電源トラブルが起きた場合などは、電子機器が無かった当時の経験を役立て、安全な航海できればと思います。また、その経験を引き継いで行くことにも勤めましょう。
以 上
★
宇都宮船長のことを懐かしむうちに、色々と昔の事を思い出したので、忘れないうちに事務局の流れの概略をご紹介します。
EYC 設立当時の事務局で、事務方は、藤村さん(五輪代表、やまゆり兼務)で奥様もお手伝いいただいておりました。次の事務局長として運輸省 OB の麻里さん(実家は北海道の網元と聞いています)、羽田さんと共に、クラブの裏方をお願いしました。その後、竹下さん(海自 OB 運用が専門 当初やまゆり兼務、後日事務局長)、日高さん(海自 OB 後日事務局長)、野中さん(事務局長)、神嶋さんと続いています。現場の方たちは、井上明さん(JR 担当兼務)伊藤正富(やまゆり)・伊藤静美(現
ITO ヨットセールズ社長)ご兄弟、松田さん、高橋さん、西山さん、桑名さん(現 江の島ヨットハーバーハーバーマスター)、八巻さん(海自 OB JR 担当兼務)、東さん
(海自 OB やまゆり)、小林さん(海自 OB JR 担当兼務)、山下さん(JR 担当)、近藤さんとなっており、現在は不在です。
事務局を総括する常任理事は佐々木典比古さん、小澤吉太郎さん、その後、南極観測船ふじの 2 代目船長の松浦光利さん(ザンジバル国家顧問)、福島挙人さん(現福島理事のお父様)、平野喜美夫さん(現平野理事のお父様)、西田勝彦さん、星野博正さん、福島望さんとなっています。
※1
麻里さんが事務局長の時、外洋クルーザー(やまゆり)を本格運用するために「スクールを実施しましょう」と企画し、実施したのが宇都宮さんです。
宇都宮さんは、旧海軍出身で、その後、気象庁の観測船に勤務、その後、保安庁で勤務なさっておりました。保安庁時代にヨットと出会い保安庁を退官しヨットで世界一周を目指しておられましたが、体力等を考え、次世代の方に夢を託し、宇都宮ヨットスクールを設立されました。教え子には「リブ号の航海」などで有名な小林紀子さんもいると聞いています。
それまでの、やまゆりの活動が、森戸海岸などでアンカーリングをした海水浴など のデイセーリングやレース本部船が主でしたが、宇都宮さんは、本来のヨットの楽し さであるオーシャンゴーイングを進めるために、クルージング教室を実施されました。
(月曜日から金曜日の 5 日間の航海)当時の、クルーは、湯澤一比古さん(現会員)、石橋五郎さん、宍戸さん、富田女史、石橋さんでした。
使用した●テキストは、アメリカ海軍兵学校のテキスト(Sail &Power)を訳しガリ版で作ったものでした。その第一章に「シーマンシップについて」があり、生き延びること(生還すること)について教えています。その他実践では、ラジオ放送からの天気図作成、航跡図の書き方、チャートに書かれている記号の意味、ビーコン(モールス信号)による位置確認等でした。今から 50 年近く前のことで、GPS や気象 fax など未だ無い頃です。
また、宇都宮さんは、舵誌にも時々記事を書かれておられました。
クラブのオールドソルトには、この教室に参加された方もいらっしゃると思います。当時のことは、やまゆりのクルーだった湯澤さん、石橋五郎さんにお聞きしたもの
を纏めたものです。いずれも 50 年近く前の話ですので、ご承知おきください。
● 写しはクラブにあります。(石橋五郎氏提供)
※2
やまゆりは 1964 年の東京オリンピックの観覧艇として、神奈川県が、陛下や BIP の方が乗艇する御座艇として建造され、その後、神奈川県葉山警察署で御用邸の警備にあたり 1971 年にクラブへ払い下げられました。デザインは横山晃さん(Y15 やシ
ーホースのデザイナー)だったと思います。
その後、クラブ所有艇として運用していましたが、木造艇のため維持管理には、多くの手間と経費が必要なため理事会で検討し、中村理事の提案で「やまゆりクラブ」を設立し、メンテや運用をしていただき、4 年ぐらい前に艇を譲り、引き継いで頂きました。今でも中村元理事がやまゆりクラブをまとめています。
今回のオリンピックに際しても、この艇が現役で使用されているということで、神奈川県からは、大変評価していただきました。
現存する国産の木造艇として貴重な一艇だと思います。現在ではクラブ所有艇ではありませんが、この様な歴史のある艇なので、心に止めておいていただければ幸いです。詳細につきましては http://yamayuri-club.jp/
なお、現在のやまゆりのコックピットは改造後のもので、以前は後部にクルー用のキャビンがありました。
★※1※2 過去の資料を精査したものではありませんので、概略ですが、ゆかりのある方からのお話や記憶を辿り、書き留めたものです。詳しいことが分かる方がいらっしゃいましたら、ご一報ください。よろしくお願いいたします。