安全・ルール部会 Episode1
安全・ルール部会 Episode 1
「危険の芽=無知に不注意、人任せ」
安全・ルール部会員 坊垣内 広明(Omoo)
こちらは安全・ルール部会員の坊垣内広明様にご記載いただきました。坊垣内様は現在はリタイアをされていらっしゃいますが、海上自衛隊の元潜水艦副艦長でおられました。
潜水艦を通しての安全管理について関心を深める文章を頂戴いたしました。
「危険の芽=無知に不注意、人任せ」
起:潜水艦とヨットの繋がり
私は、EYC入会時の自己紹介でもお話しさせていただいたとおり、その昔、潜水艦に乗っていたことがあります。
ご存知の方も多いと思いますが、潜水艦では上甲板から垂直に突き立った司令塔(正式名称は艦橋)を「セール」と呼びます。そう呼ぶようになったのは、揺籃期の潜水艦乗りにヨット好きが多かったからだろうと、勝手に思ってます。
また、アメリカ海軍では、艦長をキャプテンとかCommanding Officerと呼ぶのですが、潜水艦艦長は、Uボート時代からの名残りでスキッパーと呼ぶことがあるようです。トム・クランシーのベストセラー「レッド・オクトーバーを追え」に登場するタイラー博士は元潜水艦乗りで、怪我をして研究職に鞍替えしたため、主人公のライアンらから敬意を込めて
”スキップ”タイラーと呼ばれていました。
ってなことから、ヨットと潜水艦は浅からぬ縁があるなーと、これまた勝手に思ってます。
一方、ヨットとのおつき合いは五十の手習いで始めたばかりで、セール(ヨットの)の扱い方や装備品の操作等に関する安全対策については、ここで語るほどの知識もスキルも持ち合わせていないことを、予めお断わりしておかなければなりません。
そこで、本稿では「危険の芽=無知に不注意、人任せ」と題して、私がこれまでに海で体験したこと等を紹介しながら、安全にセーリングを楽しむために、いかにして危険の芽を摘むか=安全を保つかについて、思うところを述べさせていただきます。
承1:潜水艦にとっての海上交通ルール
先ず、潜水艦は海上交通安全の基本ルールである海上衝突予防法(以下、予防法)において、どのように規定されているか繙いてみると、水上を航走している潜水艦には、他の動力船と同じく全ての条項が適用されます。一方、海中に潜入して航走している潜水艦には予防法は適用されず、水上にある全ての船舶の通航を避けることを義務付けられています。
承2:潜水艦の運航
次に、潜水艦は何を頼りに動き回っているか?です。
水上を航海している潜水艦では、 セール (潜水艦の) 上で操艦に当たる哨戒長(潜水艦では航海中の当直士官をこう呼びます)は、双眼鏡による自身の目視情報と、艦内のレーダー員からの目標情報に基づいて、安全な針路や速力を選択します。
水中に潜航している潜水艦では、潜望鏡を水面上に出して目視捜索できる深度を(潜望鏡)露頂深度と言い、潜望鏡が水面に届かない深度を全没深度と言います。全没深度では、当然のことながら、水中を伝わる音を捉えるソーナーだけが頼りです。
ソーナーはSound navigation and rangingの略語で、種類は大きく分けて二つあり、一つは、レーダーのように自ら音波を発射し、目標に当たって反射した音波から目標の方位と距離を知ることができるアクティブ・ソーナーで、もう一つは、船舶から海中に放射されるプロペラ・シャフトの回転音等を聴き取り、目標の方位だけを教えてくれるパッシブ・ソーナーです。しかし、潜水艦は作戦上の制約から、自ら音波を発するアクティブ・ソーナーを使う機会はほとんどなく、潜航中はもっぱら、パッシブ・ソーナーが拾う他の船舶の放射音を頼りに動き回っています。
転1:危険の芽その1「無知」
新米の哨戒長だった頃、浦賀水道航路南端の1番ブイの南付近を横須賀に向け水上航走していた時でした。同じく浦賀水道に向かう大型ヨットと遭遇し、A目標として周期的に見張っていたのですが、レーダー員から突然「A目標、変針し、方位変わらず、距離近づく」(予防法第7条参照)と報告されてギョッとしました。あらためてA目標を見たら、確かにさっきまで同航態勢だったのに、変針(タック)して、こちらに近付いて来ます。相手は帆船なので、すぐさま避航動作を取ったのは言うまでもありません。
この事例は、知らないことが二つ重なって、予期せぬ危険な事態を招いてしまった事例です。知らないことの一つ目は、哨戒長である私自身が、ヨットはタックすることを知らなかった(忘れていた)こと、二つ目は、PPIスコープの映像しか見ないレーダー員はA目標がヨットであることを知らなかった(私から知らせていなかった)ことです。
この事例で私が反省すべき点は、言うまでもなく、ヨットはタックやジャイブによる不連続な運動をすることが頭の片隅にもなかったことと、A目標がヨットであることをレーダー員にきちんと伝えなかったことです。
ってことで、知ってさえ(分かってさえ)いれば難なく対処できるのに、知らないばかりに船を危険な状況に陥れたこの事例から、「無知」は「危険の芽」の一つとガッテンしていただけると思います。
ちなみに、浦賀水道航路1番ブイ付近はご存知のとおり、東西南北から多数の船がそこを目指して集まる海上交通の要衝中の要衝で、その時はA目標以外の船舶も多く、あたかも渋谷の交差点のごとくであったため、新米哨戒長はヨットであるA目標に対して十分に注意を払う余裕がなかった、と当時の自分に代わって言い訳させていただきます(^^;
転2:危険の芽その2「不注意」
もう一つ潜水艦にとってヨットが厄介な理由は、実はこちらの方がより重大なのですが、セーリング中のヨットは水中に音を放射しないということです。
そのような弱点を有する潜水艦が引き起こした悲惨な事故として、ハワイ沖でアメリカの原子力潜水艦「グリーンヴィル」が深度50メートルから浮上しようとして、日本の漁業実習船「えひめ丸」を船底から衝き上げ、沈没させた事件をご記憶の方もおられることと思います。「えひめ丸」は動力船でしたが、当時はエンジンを止めて漁業実習をしていたようで、セーリング中のヨットと同じく海中に音を放射していない状態だったため、「グリーンヴィル」のパッシブ・ソーナーは目標として認識できず、ほぼ真下から「えひめ丸」に衝突してしまいました。
事件の詳しい経緯はWikipediaに譲るとして、当時「グリーンヴィル」はVIPを乗せて体験航海をしていたようで、艦長は彼らの次の予定を忖度して、急いで浮上しようとしていたと言われています。普段と違う艦長の気配を敏感に感じ取ったクルーは、急いで浮上することを最優先し、その結果、艦長以下クルー全員の意識が浮上の一点に集中してしまい、普段なら気付くべき危険な兆候を見落とした不注意が、この事件の主因と言ってよいでしょう。
事件は完全に「グリーンヴィル」側の過失によるものとされ、当時の艦長は即刻クビになりました。
ってことで、航海中の不注意が文字通り彼我ともに「命取り」となったこの事例から、「不注意」も「危険の芽」の一つとガッテンしていただけると思います。
ちなみに、この事件の紹介だけで終わると、潜水艦は海中でそんな杜撰なことをしているのか?と訝しく思われることと思いますので、元潜水艦乗りの端くれとして、ひと言、弁明させていただきますと、海上自衛隊の全ての潜水艦は、全没深度から露頂深度に深度変換する際の手順として、深度変換前に約30分掛けて、ソーナーにより前後、上下、左右に接近する恐れのある目標が存在しないことを確認してから、おもむろに浅い深度に上昇するよう定め、厳格に実行しているので、ご安心ください(^^;
転3:危険の芽その3「人任せ」
人任せと言ってすぐに思い出す事例は、安芸灘の怒和島水道北側付近を呉に向けて水上航走していた時に遭遇した自動車運搬船です。
その日は天気も視程も良好で、予防法にいうところの「互いに他の船舶の視野の内にある」状況でした。彼我の関係は、こちらは航路ブイに沿って北上中、相手は航路ブイに沿って南下中で、10キロ先から予防法第14条の「行会い船」の関係にありました。
距離5000メートルくらいに接近した頃から、その船は航路ブイによる境界線をはみ出して、お互いそのまま進むとニア・ミスの恐れがあると感じ始めました。しかし、相手も当然こちらを見ているのだから、まもなく針路を右転してこちらを避けるだろう、と安易に相手任せにし、そのまま北上を続けました。
2000メートルくらいに近付いた時に相手船のブリッジを凝視したところ、誰もいないのです! おそらく、オートパイロットでここまで来たのでしょう。
おっとり刀で避航動作を開始し、汽笛で注意喚起信号(予防法第36条参照)を吹鳴したところ、ようやく相手船のブリッジに人が出て来ました。
可航域の狭い瀬戸内海を自動操舵で走ること自体、あってはならないことですが、沢山いる船舶の中にはこの例のように、安全軽視の無責任な船乗りが操船している船もあるのが現実です。そういう人たちを相手に、海難審判の一方の当事者にさせられるほど馬鹿々々しいことはありません。
ってことで、相手の回避行動を期待してニア・ミスしそうになったこの事例から、「人任せ」も「危険の芽」の一つとガッテンしていただけると思います。
ちなみに、避航後、国際VHFで呼び出して文句の一つも言ってやろうか!と思いましたが、国際VHFは、こういう危険を避けるためにこそ事前に活用すべき手段、ということに思い至らなかった我が身の不明を恥じ、公共電波での公開口喧嘩は思い留まった次第です(^^;
結:「危険の芽、無知に不注意、人任せ」
ここまで、三つの事例を挙げて縷々述べてきましたが、「無知」による危険、「不注意」による危険、「人任せ」による危険の事例は、他にも様々なシチュエーションで枚挙に暇ないことは言うまでもなく、皆さんも思い当たる事例を抱えておられることと思います。
結論として、あらためて申し上げたい最良の安全対策は、自分の周りに芽吹く「危険の芽」が「避けられない危険」に育つ前に、こまめに摘み取り続けること!です。
これから海に出る際は「危険の芽、無知に不注意、人任せ」と呪文のように唱えつつ、
・知らないことを無くす心掛け
・注意を怠らない心掛け
・人任せにしない心掛け
この三つを心のハンガーに掛けておくことによって、安全で楽しいセーリング、牽いてはレースを楽しむことができると思います。
皆さんの安全で快適なオーシャン・ライフを願いつつ。
令和3年1月14日
Omoo 坊垣内