随筆「海の言葉」⑳“BALLAST”
“BALLAST”
「バラスト」は、船の運航にたずさわる人にとっては、余りにも馴染みが深いものなので、かえってその本来の意味が忘れられがちです。先ず、語源を探ってみましょう。
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英語の“BALLAST”は“BAL”と“LAST”の結合語です。この場合の“LAST”は「最後の」ではありません。全く語源の違う言葉で、古くは「荷物」「積み荷」即ち“LOAD”と同じ意味でした。現在ではこの意味では廃語となり、僅かに特定の地域の特殊な商品、例えば“WOOL”とか穀物などの取引単位(重量約4,000ポンド)として使われているにすぎません。
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“BAL”の語源については三つの説があります。最も有力なのが、北欧語の“BAR”、英語の“BARE”であって、いずれも「裸の」「空の」ことです。二番目の説は、英語の古語の“BALE”であるとするもので、これは“MISFORTUNE”「悲しみ」「災禍」を意味します。いずれの場合でも、“BALLAST”は「空しい荷物」「悲しい荷物」であって、「もうかる荷物」ではないことになります。第三番目の説は、デンマーク語の“BAG”であるというもので、これは「後方の」の意味ですから、“BALLAST”は、船尾に積んで、船の前後の釣り合い、即ち「トリム」を保つ荷物となります。
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帆船の場合、積荷が皆無では、船の復元力が不足して転覆の危険を生じます。汽船でも、プロペラが充分に水面下になるように、或る程度の積み荷が必要になります。従って、どうしても荷物がないときには、砂利とか砂とかを船艙に積むことになります。もちろん運賃などは貰えません。昔は砂利バラストをよく積んだもので、建設業界では今でも砂利のことを「バラスト」と言います。
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辞書によれば、“BALLAST”は「底荷」とか「脚荷」となります。
言葉の始まりからみれば、まさにその通りなのですが、最近の船の実態からすれば、これは古色蒼然たる訳語でしょう。
ヨットは、船底やキールに、鉄や鉛の「バラスト」を装備しますし、客船や自動車運搬船などでは、復元力を増すために、船底にコンクリートなどの“PERMANENTBALLAST”「固定バラスト」をもつことが多いのです。これらは「荷物」ではありません。また商船では、専ら海水を“BALLAST WATER”として使用します。タンカーでは、海洋汚染防止のために、油タンクに海水を漲ることが禁止されているので、専用の“SEGREGATED BALLAST TANK”(S,B,T,)「専用バラストタンク」を装備しております。
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「空船で航海する」ことを“to sail in ballast“と言います。「脚荷を積んで航海する。」と訳されることが多いのですが、これは「空荷で航海する」でなければなりません。“to ballast”は「バラストを積み込む」「バラスト漲水する」ことです。最近では“BALLASTING”を「空船航海する」意味に使っている例を見受けますが、これは勿論、文法的に間違いです。