ENOSHIMA YACHT CLUB
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Attendant Letter No.4

関 一人さんインタビュー【後編】

前編に続き、

大学にて輝かしい実績で卒業、憧れの関東自動車工業ヨット部に入られてからの関さんのお話です。


ヨットでのご採用ということは業務主体に働かなくともよいという事なのですか?
    
関さん
一般採用ではなく、会社のヨット部員としてオリンピックを目指す為の採用で、オリンピックを目指している間は業務としてセーリング活動をし、一区切りついたら一般業務を行う形になっています。
   

オリンピックに向けた活動の様子を教えてください。

関さん
98年に入社、2000年シドニーオリンピックを目指し、当時は男子2チームで活動をしてオリンピックを目指しましたが、私は結果として負けてしまいまして、1年間ヨットから離れ会社員として働きました。
その間、考えて出した結論は、次のオリンピックも会社として2チームでオリンピックを目指すとしたら、私は会社を辞めようということでした。
会社がその後方針として私を1チームで活動させ、オリンピック出場を目指すとの話を頂き、そのままこちらの会社でお世話になろうと決めました。


選考レースが始まってから強く印象に残っている事、気持ちを教えて頂けますか?

関さん
「寂しさ」が、一番印象に残っています。


その「寂しさ」とは?

関さん
10チームから始まり、一緒に切磋琢磨して頑張ってきた人々がどんどん抜けていってしまう。ふるいにかけられていきます。いなくなることがとても寂しく皆で頑張ってきた思いが強かったです。最後は、石橋、後藤組、三部、高村組、松永、牧野組らと戦い、オリンピック代表になりましたが、オリンピックまでのセーリングパートナーをホンダの三部チームにしてもらいました。パートナーである三部さんに私の持っている2艇に乗り替わって乗ってもらっていたのですが、スピード練習時は全く勝てず、どちらの船に乗ってもすべて三部さんの乗る船のほうが速く、技術スキルの差を身に染みて感じました。
本当に全く勝てませんでした。
そんな状況でしたので、本番で使用する道具は全て三部さんに決めてもらいました。
しかも、私はトヨタ関連会社所属、三部さんはホンダ所属。
会社の垣根を超え、日本のセーリング界のために協力してくれたことは今でも本当に感謝しています。

メダルはどのように決まりましたか?

関さん
レースは、最終レース前で3位と同点の4位.自分が17位以内かつ3位の人より前でフィニッシュすればメダルが決まる状況でした。最終レースの前日がレイディ(レースがない日)だったのですが、私は、その1日を淡々と過ごしたいと思ってどうしたらよいか、当時日本セーリング界の唯一のメダリストだった重さんに連絡をとりました。


重さんのお勧めは?

関さん
「一人プールサイドで読書していたわ!」と言われて、自分も一人の時間を過ごす為、カッコつけてプールサイドにいましたが、ちょっと?違うなあと思い、本当にやりたいことをやろうと選手村の中にあるゲームセンターや、違う競技を観に行ったりして過ごしました。


メダルを獲ってからは?

関さん
私は、一生懸命してきた結果であるものの、「とれちゃった」……というのが本音です。            

というのも、周りも「え!とれたの」というような驚きながら喜んでくれている感じがあったので(笑)。
またそれと共に、1人のセーラーとしても、『関一人』という1人の人間としても中身は何も変わっていないのに、メダルをとった瞬間に友達も含めメダリストという目でみる部分はめちゃくちゃ寂しかった。
面白かったのは親戚が一挙に増えたこと(家系図というのも初めて見ました)
初めてサインを書いた時に、字が下手で小学生に「サインじゃなくて名前書いてるだけじゃん!」と言われたことですかね。
    

オリンピックが終わり次をどうのようにしていこうと考えましたか?

関さん
次を考える時に、日本のメダリストの理想は?と考えました。
プロになる。お金になる事をする。事務所などに所属し、自分をマネジメントする。など頭に浮かび考えました。でも先に親から今の会社は絶対辞めるなと言われたんです。
私の考えそうなことが事前に分かっていたのでしょうね。
メダルをとった時は28才でしたが、それからもう4年やろうと思いました。
それは、私よりセーラーとして上手い人は沢山いたんです。
ですので、もっとやりたい!もっと上手くなりたい!という気持ちで次のキャンペーンを行いました。


結果は?

関さん
最終選考の世界選手権で最後Gold fleet に残れず、Silver fleet になり、Gold に残った松永選手が代表になりました。


その時の気持ちは?

関さん
金メダルという、オリンピックでの明確な目標がなかった事で滑り落ちた自分自身の甘さを一番感じていました。


関さんは、コーチの道でまずウインドサーフィンの富澤選手のサポートからはじまりましたが、ご自身で乗りたいとは?

関さん
ウインドについては今まで乗った事もありませんし、乗りたいと思いません(笑)


それは、、、やはり?体育2の成績も関係ありますかね?

関さん
ありますよ!体力ないし、運動神経ないし…笑。
あれがメダリスト?と思われるのも恥ずかしいですしね。


その後、470級岡田、外薗組のコーチをされていますがどのような選手ですか?

関さん
岡田選手は、すごく独特の感性を持っています。育ってきた環境がそうさせたのか。あるいみネジが外れているというか…トップセーラーは皆そうかも。変わってますよ。


あっ、関さんも…

関さん
外薗選手は、コツコツ努力タイプです。


オリンピックが1年延びた事は?

関さん
選手は大変辛いと思いますし、本番へのアプローチも変化しています。
ですが、選手がやらなきゃいけない事は決まっているので、決まっている事を進めるのみです。

【最後に】

初めて、関さんの幼少からのお話しを伺いました。コーチとしてはもちろんですが、セーリング文化の中で育っていらした方が、その文化を重んじ、広めていかれたいと所々に感じました。
この度、コロナの影響で海外にも代表の遠征に付き添いもできない事で江の島にいらっしゃる関さんを時折拝見します。
もちろんアスリート、コーチとしての厳しい関さんでいらっしゃるのだと思いますが、ジュニアの子供達には、全ての子供達をやさしく見るお父さんの瞳でいらっしゃいます。
先日、ヨットを初めて一年ぐらいの子供達のグループに御子息も参加され、その日は久々強風北風となりました。
まだ、始めたばかりの身体の小さな子の中には、なかなか出るのを渋るお子さんがいます。しかしながらその日みた光景は、関さんが、本当に淡々と、子供達、船をみて、サポートに乗り込み、出艇前の子供達を海から黙って待っておられました。「大丈夫だから、出てみたらいいよ!」と言っているような気が私にはしました。
そのグループみんなは、お兄さんお姉さんの手をかり、荒天の海に淡々とびっくりするほどきちんと出ていきました。私はもともと涙脆いので、一人スロープで感動しました。
かと思うと、その一つ上の男女チームは〇〇〇一緒に出よう!いいよ!と素敵な掛け声で出て行きました。チームスポーツじゃないからという声もききますが、これがチームだなあと私は思います。
自然と助け合う子供達は、本当に輝いていますが、お話をされている時、海に出ておられる時の関さんの眼差しは大変印象的なものでした。
本当に強い方は優しいという事だなあと。

という感動で終わりにしたいところですが!!
関コーチの下にいる岡田選手に関さんに、これだけは、関さんにやめてほしい事を伺いました。セーリングの事ではないのですが、
『とにかく!忘れないで欲しい!色々忘れちゃうんですよ〜』という事でしたよ、関さん。」
                             
今回、私は初インタビューであり本当に緊張致しましたが、オリンピアンの関さんが快く引き受けて頂き、お話がとても気さくに面白く、お話をして下さいました。読んで頂き感想くださった皆様、そして何より時間を割いてご協力賜りました関さんに心より御礼申し上げます。

西村 由香

2020年11月18日
一般社団法人江の島ヨットクラブ
EYC Attendant 西村 由香

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