ENOSHIMA YACHT CLUB
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Attendant Letter No.6

シドニー世界選手権奮闘記 EYC会員 原田浩二様より

皆様、こんにちは。
少し前になってしまいましたが、会員の原田浩二様よりセイラビリティ活動のお話を伺いました。
原田様は特定非営利活動法人セイラビリティ江の島の副理事長として活動されていらして
今までで一番印象に残られている選手権のレポートを頂きましたので、皆様にもご紹介いたします。

                                
2012 Access Class World&International Championshipに出場しようと思ったのは、セイラビリティー江の島の2004年設立式に江の島ヨットクラブの理事として招待されていたので、ある程度なじみがあったからである。
大学の先輩で、設立発起人である松本冨士也氏にジュニアヨットクラブの時代からお世話になり、2010年ロンドンで行われた世界選手権にセイラビリティー江の島のメンバーが参加していた。
Access Classは健常者も障害者もハンディキャップなくレースに参加できるクラスで、65歳の年寄りでもそこそこ戦えるという下心も少しはあった。サラリーマン卒業旅行の記念としての意味合いも持っていた。
などの理由で是非草レースでなく、国際セーリング連盟公認の世界選手権に出場したいと思うようになった。

セイラビリティー江の島のメンバーとして参加したが、当初6名が早くから参加の意思を固めており、私は後から参加の意思を示すことになり、6名は303クラス2パーソンでのエントリーを済ませ、1人残った私は2.3クラス1パーソンでの参加となった。日本からは江の島以外も含め303クラス2パーソンに5チーム10人、2.3クラス1パーソンは私だけの参加となった。

4月5日(木)
朝シドニー国際空港で無事7名の団体となり、バスでホテルにチェックイン。昼食を近所のカフェで取りながら、江の島ジュニアヨットクラブOBのトニーフライ君を呼び出す。合流するとまずミドルハーバーヨットクラブ(Middle Harbour Yacht Club)へのバスでの行かたを調べてもらい、ハーバーに行って挨拶などをした後、夕食をハーバー隣の仏料理店にてトニーとともに食事、その後バスでホテルへ。

4月6日(金)
受付の作業をしていると、すでに頼んであったセールが届いたので、すぐセールのメジャーメントを国際アクセスクラス連盟会長のテリー ピークにより受ける。その後チャーターヨット(2.3クラス)を受け取る。ハルNo.298「BORN FREE」はデッキがピンクでよさそうな艇と思える。女性のオーナーかもしれない。午後艇の計測を受ける。順番待ちの間に、帆走指示書を勉強。合間にある男性が片言の日本語で話しかけてきた。後でMark Pryke氏とわかったが談笑。Mr.Masayuki Ishiiを知っているかの質問。葉山マリーナに行ったことがあるとのこと。石井氏はアメリカス カップのジュリーをしたIJだと答えた。計測後艇のフィッティング。

4月7日(土)
今日は僚友の303クラスのチャーター艇の引き渡し。艇のセットアップを手伝い。2.3:1艇、303:3艇で海面に出る。10m/secぐらいか、フルセールで出たが、ブローの中で、ウエザーが強くて、波舵も切れない。やっとややブローが収まったところで、タックして帰着。昼食をハーバー隣のイタ飯屋でピザとパスタで済ませる。午後2パーソンの6人は市内観光へ、私は体調悪く、部屋で16:00~18:00まで就寝後、ビスケットで夕食。

4月8日(日)
10:00にレース委員長(Principal Race Officer)のMark Pryke氏のブリーフィングを聞く。ほとんど英語がわからない。プラクティクレースは北東3~5m/sec、右のコースがたまたま当たってDuncan MacGregorに勝ち、弟のAngusに次いで2位をとる。このレースでAngusには絶対勝てないと思った。右手がやや不自由であったが、ボートスピードの差が歴然。65歳の私には当たり前だが、身のこなし、ハンドリングなどすべてこの17歳の少年には勝てないと思った。18:00の開会式にはアポリジニーの踊りと参加国の国旗の入場などがあり、盛り上がる。MHYCのコモドアの説明によると延270名のボランティアが参加しているとのこと。ホストクラブの意気込みに感謝。

4月9日(月)
いよいよレースが始まる。午前に1パーソンのレースがスタート。北東4~6m/sec、最初のレグで右コースが当たるが、その後左コースで6位と6位。累計5位。風にムラがあり、左右の振れも予想つかず難しい海面と思う。
ハーバーのソーセージシズルを食べる。

4月10日(火)
1位と6位。南西13~15m/sec、まさにサバイバルで完走すれば上位をとれると思っていた。実際に海面にはエントリー13艇中6艇しかいなかった。
Angusは“fun”と喜んでいたが、こっちは”terrible”と表現。セールはフルリーフで走れる状態。Duncan、AngusのMacGregor兄弟はフルリグ、若干のリーフでスタートラインを切っていった。
どんなに遅くなっても完走を目指して、強風下タッキングなどで止めたらだめだと思っていたので、チョッピーな波もあり、のぼり角度は無視し、おとしてスピードを殺さないように走った。MacGregor兄弟を背後に最終マークのひとつ前を3位で廻航したが、前の2艇は第2マークをもう一回廻らなければならなかったのに、コースミスでそのままフィニッシュ。夕方ノーティスボードにも3位と表示されたが、Angusと二人でレース委員長に抗議。私が1位、Angusが2位と修正された。この日の2レース目は同様の風だったが、スタート後右コースのタック直後のブローを受け、完全に沈をしてしまった。かいだすのに時間がかかり、最終順位の6位になってしまった。絶対避けようと思っていたことをやってしまった。遅れてもステディに走ろうと思っていたのに、失敗。
303クラスの竹下、佐々木組は強風のため2レース目をリタイア。
夕食は日本人がやっているラーメン屋「亮亭」へ。

4月11日(水)
303クラスの竹下、佐々木組は強風のため今日もリタイアを決定。これで3レースリタイアになるので、捨てレースは最大でも2レースなので上位の成績は難しくなった。
昨日と同様だが、南西8~13m/secぐらいか。最初のレースは定位置の6位。次はMacGregor兄弟の後の3位でフィニッシュ。マストリーフのコントロールのドラムが滑ってしまい、キチットリーフできずマストが、風圧でずるずると回転し、セールが出てきてしまい、深くなってしまい、ウエザーが強すぎて、タックができない状態。その都度手でマストを回転させて、セールをフラットにしてだましだましの帆走。また2レース目はラダーのコントロールロープが外れて、ジョイステックが効かないので後のティラーを直接持ってコントロール。チャーター艇なのでこれもレースのうちかと納得して帆走。いやなら自艇で参加すべきだ。
上がってきてハーバーマスターと修理にかかる。親切に艇のオーナーの了解をとって、部品を用意してくれた。明日補修をするとのこと。イタ飯屋で夕食。

4月12日(木)
午前中に昨日のトラブルのマストを補修。マンリーからきているおじさんとハーバーマスターが手伝ってくれた。風向西、4~6m/ sec。7レース目はミスコース第2マークから第3マークへ行くところをさらに上へ行ってしまった。一昨日他艇がやっていたのと同じミスを犯してしまった。3位のところを6位でフィニッシュ。次のレースはスタートリコールですぐ戻って再スタート。2回目にも6位で6位が定位置となった感がある。第2マークでイギリスのおばさんとポート・スターボードでニヤミス。私は軽くスターボと叫びそのまま過ぎ去ったが、その時彼女はプロテストと叫んだようであった。タッキング後十分の時間があってスターボードになったが、彼女は避けるための航路権を与えなかったとの言い分であった。
帰着後、プロテストが出ていると知って驚いたが、これも国際レースかと思って耐えるしかない。プロテストの原告にはオーストラリアの証言艇が用意されており、我が方の劣勢は隠せなかった。当初豪の英語が全く解らず、西井氏とGrahme氏が立ち会ってくれた。インターナショナルジュリーはオーストラリア、ニージーランド、シンガポールなどから5人が審問に立ち会い、さすがISAFの公認レースと思った。原告は女性特有のややヒステリックなしぐさでの、状況説明に見えた。こちらは日本人らしく紳士的に振る舞わねばと思っていた。最初英語があまりわからず、通訳を二人も用意したことを謝ることから始まった。双方の言い分は違うので、結果的に却下となったが、審問室でのやり取りの雰囲気は私に味方しているように感じられた。最終の結審はシンガポールのIJから言われたが、英語のわからない私にも理解できた。
審問終了後彼女が退席する際、こちらも起立し握手を求めて明日は最終日なのでベストを尽くそうと言おうとしたが、わき目も振らずドアの外に行ってしまった。その後ニュージーランドのIJから疑わしいときは360°をやった方が良いとアドバイスがあった。すべてのIJに謝意と敬意をはらって退席した。終了後西井氏とGrahme氏とクラブのダイニングルームで夕食。その後マンリーの西井氏のホテルと私のホテルにGrahme氏が車で送ってくれた。彼はシドニーから3時間かかるといっていた。ホテルに戻ってからは遅くなったので、就寝。

4月13日(金)
朝食時、江の島のメンバーから昨日の私の行方不明が最大の話題になっていしまった。303組の6人は昨日午後のフリー時間を利用して、シドニー中心部に観光に出かけ、私と18:00にホテルで落ち合おうと決めていたのが、居ないのでマスターキーで部屋の中の安否を確認したようである。7:30ホテルを出発。最終日となるため、ハーバーのコンペティター達に最終日だからお互いに頑張ろうと声をかけた。昨日の抗議のおばさんがいきなり私の艇のアカをスポンジで汲みだしてくれた。昨日の抗議の和解、ノーサイドの意味だろう。気持ちよくレース海面に向かえた。9:55に予告信号も、風がなく30分ぐらい待機していたが、AP、T旗が掲揚され、AP旗だから延期か中止と思ったが、T旗の意味も解らず浮いていると、運営艇に曳航されてハーバーに。同じラバーボートで曳航されたオーストラリアの女性選手はこの風ならできると不満たらたら、どこかわからないが、日曜日に飛行機で帰るとのこと。持っている飴をやったら、口に入れる前にやや疑っている感じ。その後陸上本部でクラス旗とN、A旗が上がり、午前中のレース中止が発表される。私としては昨日まで4位で5位との差が1点しかなく、もし今日レースをやられると2レースの成績がキャンセルになり英語の成績をとってない私は英語の成績をとっている5位に抜かれ可能性があったのでノーレースで一安心。午後の303クラスは風が良くなってきたので実施された。
成績は日本選手団の成績は
私が2.3クラス1パーソンで4位(エントリー13艇)。303クラス2パーソン(エントリー23艇)は5位:丸山、大貫組、11位:竹下、佐々木組、12位:佐藤、矢代組、14位:小平、有吉組、21位:西井、関谷組。
夕方表彰式とフェアウェルパーティー。シンガポールのIJはチャンギセーリングクラブのメンバーで、過って江の島ジュニアヨットクラブの子を預かったとのこと。その頃のジュニアの子の名前を言ったが忘れてしまっていたよう。私の息子がMr.タンの家にホームステイしたといっていたら、感激していた。ニュージーランドのIJは1964年に江の島の東京オリンピックのフライングダッチマンクラスで、ゴールドメダルを取ったとのこと。会場を後にするにDuncan、AngusのMacGregor兄弟などと握手を交わす。

4月14日(土)
8:00朝食。9:00ホテルチェックアウト、バスでマンリーワーフへ。散策後フェリーでシドニーのシティーに。途中レース海面の沖をとおって懐かしむ。入り江から出て、マンリーに向かう10艇ほどのアクセスディンギーの曳航とすれ違う。303のチャーター艇はマンリーのクラブから借りたもので、感激し写真を撮る。また昨日まで世話になった本部艇が出てきてしばらくフェリーと並走。手を振ったが、向うは気が付かなった。オペラハウスの付近で昼食し、21:30のカンタス航空の飛行機に。

会社をリタイアしてから初めての海外遠征であった。
今まではサラリーマン生活の中で長期休暇を取るのもままならず、ヨットの活動は国内に限っていた。
私はこの年まで大学ヨット部のOBとして約45年ヨットに携わり、多くのディンギー、クルーザーのレースに参加。運営も全日本選手権(JSAF)の実行委員長、国際レース(ISAF)のレース委員などを経験してきたが、ヨットレースがこれほどの感動を与えてくれるものと、遅まきながら、大変恥ずかしながらこの年で初めて感じた。
65歳の年老いた胸に青年の息吹を与えてくれたと思う。レース委員会、実行委員会、ロータリークラブ、ホストクラブ(MHYC)のホスピタリティーには感謝の気持ちでいっぱいであった。それにまして今回一番感じたのは障害者を含めたすべてのコンペティターがこの強風のレース海面を共有し、共に戦った仲間たちと思えるようになった。あの強風で身体的なハンディキャップを負っても、健常者と互角に戦えることに畏敬の念を持たざるを得ないのである。健常者のサポートを受けずに、強風でも喜々としてヨットに取り組む姿は胸を打つ尊厳のようなものがある。特にパラリンピック種目のSUKD18クラスは49erを少し大きくしたような艇にシートベルトで体を縛り、13m/ secの風でジェネカーを上げる様は若い時でも、とても私にはできないと思った。
ともに同クラスで戦って1位となったAngus MacGregorは右手が少し不自由で私が握手しようとして、右手を出しても左手で握手を返していた。しかし彼のヨットセンス、技術には優れたものがあり、性格もよく、アクセスクラスにとどめておくのはもったいないと思う。レーザーラジアル、レーザー4.7などのディンギーか、右手が使えないなら、J24のような3メン以上のキールボートならもっと新たな活躍できるのではないかと思った。現地で彼に私のこの思いを伝えられなかったことが、やや心残り。
いつも現役学生の現場で同様の目線、メンタリティーでいたいと思っていただけに、大変良い経験ができたと思った。過って責任者をしていたジュニア、ユースの選手(我が子を含めて)が海外遠征から帰ってくると今までよりはるかに大人になって帰ってきていること感じていた。この年で同様の感覚を得たということかもしれない
帰国後電話で貝道和昭氏、松本富士也氏、石井正行氏に帰朝報告。Mark Pryke氏は石井氏と葉山でニッポンカップのジュリーを務めたとのこと。
再来年サンフランシスコでワールドがあるようだ。ぜひ出てみたいと思うが、あとは年齢からくる体力との勝負か・・・。

2012.7.16 
セイラビリティ江の島
原田 浩二

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